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2008年3月12日 (水)

国家の品格、丕緒(ひしょ)の鳥

『国家の品格』藤原正彦

 人殺しはなぜいけない?という問いに、「駄目だから駄目。以上、終わり」という以外に理屈はないという主張に賛成。三つの線分に囲まれた図形を三角形と呼ぶのが説明不要であるのと同じく、これは社会の原理なのだ。
 論理性を絶対視する姿勢や自由・平等・民主主義が格差を広げ世界におけるアメリカ優位を助長している。
 国際人とは外国語をしゃべれることではなく、自国をよく理解し体現していることである。
 愛国心には二種類ある。国益主義(ナショナリズム)ではなく祖国愛(パトリオティズム)を。
 武士道精神の復活を。──卑怯を憎め。弱者・敗者を思いやる心、惻陰の情を。貧しくとも気高い心を。
 なるほど、これは売れるだろう。よくぞ言ってくれたと膝を打つ者は多かろう。
 しかし勝者は聞きたくないだろうし、人殺しがなぜいけないか分からない者に教えるのは手遅れだろう。
 幼児期からの教育が大事だが、その前に親を再教育しないといかんな。
 我が子を虐待で骨折させ、その体にマジックで「死ね」と落書きできる親の再教育だ。えらいこっちゃ。

 『国家の品格』藤原正彦、2005。新潮新書。

「丕緒(ひしょ)の鳥」小野不由美

 慶国、予青七年。首都・堯天の中央にそびえる高峰の中腹には、下級官吏が務める「治朝」がある。その南西部、夏官府で羅氏を任ぜられている官吏・丕緒は、新王登極の知らせを聞く。そしてそれに伴う恒例の行事・大射で使用する鳥形の陶器──陶鵲(とうしゃく)の制作を命ぜられる。しかし、短命の王たちによる乱世に倦んでいた丕緒には、荷の重い仕事だった。
 十二国記シリーズを通じての主人公・陽子が王となったとき、文字通り雲の下では人々が何を思い生きていたのか。新王への期待と不安を下級官吏の目から描いた短編。
 シリーズに思い入れがあれば、ある程度の感慨はある。本編を進めてほしいというのが本音だが、安易に進めるには次の展開が重すぎることは重々承知しているので、気長に待っている。こうして周辺部のエピソードで間を持たせるのが、無難ではある。少しはファンの渇望も癒せるし。
 それにしても『yomyom』、特別定価ってどういうことだ? 十二国記を載せてるからって、アコギな商売してるんじゃないか?
 「丕緒(ひしょ)の鳥」小野不由美、2008。『yomyom』誌(新潮社)3月号所収。

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