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2010年1月 7日 (木)

トリックスターから、空へ

 2010.01.07
 太田光『トリックスターから、空へ』読了。どこかの月刊誌に連載していたらしい。各エッセイの最後に日付があるが、それが2004.01月から2006.10月になっている。その時々に著者が気になっている事を取り上げている。後書きで本人が、「ウンザリするほど同じことを繰り返し」書いていると言ってるとおり、テロとの戦いのことや政治のことが何度も取り上げられる。かならずしも主義主張に賛同するわけでもないが、いいこともいっぱい言っている。曰く、

 「民主主義とは国家の形態の中にあるのではなく、人間個人の中にあるのだ。」(軍国主義国の兵士が、捕虜を処刑する上官命令を拒否して罰を受けた話で)
 「この戦争はどちらかがどちらかを“皆殺し”にするということ以外終わる形のない戦争なのだ。」(アメリカの対テロの戦いについて)
 「日本国民を乗せた列車は、無理なスピードでカーブに差しかかっているのではないか。」(JR西日本の列車脱線事故と、テロとの戦いに賛同する日本をだぶらせて)
 「“日本人は絶対に人を殺さない”という意識。それこそこの国の誇りとして認識すべきだ。」
 「世界の親米国を自負する日本が出来る国際貢献とは、アメリカの戦争を支持することではなく、その単独主義を止めること、つまり世界の大半が反対している戦争をアメリカにさせないことではなかったか。」
 「満州事変も、大東亜共栄圏という思想も、当時はたしかに、まぎれもなく、“正義”だった。(中略)しかしその“正義”が招いたのが大量の殺人と大規模な混乱だったということは事実だ。また、アメリカによる空爆も原爆投下も“正義”だった。」
 「テロリストの目的は、この我々の“ルール”と“秩序”を暴力によって崩壊させることだ。(中略)「テロに屈しない」態度とは、ルール無用の暴力に対して、あくまでも“馬鹿正直に、愚直なまでにルールに則って対応する”という態度であり、その態度をとる勇気を持つことである。(中略)アメリカは「テロに屈した」としか思えない。」

 「遺体との会話と、生きた人間同士の会話と何が違うのか。」これは、通夜でご遺体に語りかける人を見た著者が、一瞬違和感を感じたあとで、これは一種の擬人化ではないか、ペットや物に語りかけるのと一緒ではないか、あるいは友達や恋人にさえ、人は自分の中のイメージを投影して“擬人化”してるのではないか、と、むずかしく考えすぎちゃう?と思うようなことを言っているのだが、「擬人化」ということばのチョイスはともかく、言いたいことはわかる。私もそう思う。

 「その感覚は、おそらく金というものに対する“恐れ”であろうと思う。」著者の奥さんは著者をマネジメントする社長でもある。奥さんは著者が実態以上に評価されると、怖いと思うらしい。商品価値に見合った価格が付くのをよしとするのがまっとうな商売人の感覚で、その感覚を失ったがゆえに、“村上ファンド”のあの人は、世間から反発を食ったのだと。もっともな意見だ。

 「この世界の流れは、全体としては“無秩序へ”の流れであるように見えるが、その中に確実に、“秩序へ”と向かう流れが存在する。それは生命の誕生であり、文明の構築であり、地球の進化だ。」ダン・シモンズ『ハイペリオン』などSFも読んでいるという著者の、SFマインドをくすぐられる言葉。光瀬龍『百億の昼と千億の夜』を思い出させる。

 芸人になるまでの話では、こんなやつが近くにいたら嫌だなあ、と思うような行状が語られる。ブラウン管ごしだから、結構好きな芸人である。
 「人間て死んだら時間になるんだと思わない?」と言う奥さんの話を、もっと読みたい。

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