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2011年3月17日 (木)

『華竜の宮』

(承前)
 SFではよく、ひとつの大ボラをつくために、それ以外の事柄をとことんリアルに構築し描写するという手法がとられる。
 『華竜の宮』には、ふたつの大ボラがあると思う。
 ひとつは天変地異。これをリアルに見せるため、地質学等の裏付けを徹底的にしているし、社会の変化、国家の対立なども、リアリティをもって描かれている。

 もうひとつは、遺伝子操作。海の面積が白亜紀(クリティシャス)に匹敵するほど広がる「リ・クリティシャス」と呼ばれる時代の到来に備えて、人類の生存のためあらゆる生物の遺伝子改変を許可するという「世界法」が制定され、「魚舟・獣舟」の世界への伏線となる。
 こちらの設定は、リアリティというより、荒唐無稽といえる展開を呼ぶ。
 なにしろ、海面上昇後の混乱のなか、プログラムされた人工生物が、流入する避難民を殺戮するのだ。そしてその後いったん安定した世界では、海上民は、ヒトと魚舟の双子をはらむのだ。
 むしろ、こちらの大ボラが作者のメインテーマであって、天変地異はそれを実現するための道具立てだと言ったほうが正確だろう。

 しかしプロローグの学術会議でのまじめな展開では、このまま『日本沈没』的なハードSFが最後まで展開するのかと思わせられ、それはそれでわくわくしていたのだが、数ページで話は怒濤の展開を見せ、あっというまに激動のまっただ中に放り込まれた。そういうのもきらいじゃないので、非常に楽しかった。(大原まり子の「一人で歩いていった猫」のエンディングをほうふつ)。

 それにしても、物語の根幹をゆるがす疑問があるのだが、そもそも遺伝子改変して別の生き物にしてまで、人類を存続させる意味とは? それって、人類と言えるの? 中盤に出てくる女性科学者二人にしても、人類改造への覚悟のほどが淡々として爽やかとさえ感じられるほどで、それが却って不気味である。遺伝子操作に対するこの時代の人たちの認識は、今の我々とはだいぶ異なるのだろうか。でも結局、陸上民と海上民でさえ対立してしまってるんだから、「ルーシイ」だとそれどころではなかろうに。
 その新人類(または亜人類)を、時が熟せばもとの人類に戻すという計画は、まるで『ナウシカ』の墓所のエピソードのようである。
 一方の獣舟の擬態ぶりは、ディックか星野之宣みたいでわくわくする。あるいはマーティン「サンドキングス」。

 この本を読みはじめてから、地図を探している。高度250メートルの等高線が描かれた地図である。260メートルまで水没するこの本の世界を地図化してみたいのだ。しかし、ない。ほとんどの地図の等高線が、100メートル、200メートル、500メートルなのだ。
 200メートルだとしても、想像を絶する海面上昇なのだが、世界全図のスケールでみると意外とそれほどでもない。
 ロシア・ヨーロッパ、オーストラリア、南アメリカなどは、かなり変貌するのだが、日本列島はそれほど変わらない。日本はかなり急峻な地形なので、日本群島と呼ぶほどには分断されない。
 しかし、こたびの大津波で三陸海岸が水没した衛星写真をみてぞっとした。260メートルなんて、本当に、想像を絶する。

 荒唐無稽ともいえる舞台設定に、地道な人々の営み。十二国記を連想した。
 十二国記も、あらたな展開は世界の終わりしかないかもしれない。西王母まで出てきて、あと、何をする?

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