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2012年8月26日 (日)

古典部シリーズ/米澤穂信

 一週間ほどの間に、米澤穂信の古典部シリーズを読み返した。
 『氷菓』『愚者のエンドロール』『クドリャフカの順番 [十文字]事件』『遠まわりする雛』『ふたりの距離の概算』と、目下5冊刊行されている同シリーズは、現在アニメ放映中。ただし、関西ではみられない? 「京都アニメーション」とかいうところの製作なのに。地上波じゃないのかな?
 今書店には、主たる登場人物のアニメキャラクターを配した表紙の文庫が平置きされているが、千反田えるの絵柄だけは、見ていてイライラする。違う、イメージじゃない。ほかの3人は、まあどうでもいいのだが。清楚で、目が大きい、となると、ああなってしまうのかもしれないが。(あれだけの古風な家柄で娘に「える」と名付ける親の脳みそを覗いてみたい)。
 『ふたりの距離の概算』の単行本の表紙だけ、なぜかイラストなのだが、好きではない(あえて言えば「へたな絵」だと思う)。アニメ化にともなう文庫落ちで、表紙はこれまでと同様に学校周辺の写真となった。悪くない。キャッチーではないが(それを言うなら、これまでの表紙でキャッチーでクールなものなどひとつもなかったが)。
 今回のアニメ化では、『遠まわりする雛』までいくのかな? 『ふたりの距離の概算』はいかないだろうな。あれは十二国記における『黄昏の岸 暁の天』みたいなもので、その後にくるものがはっきりしないうちにはアニメ化しづらいだろうし。単体では、宿題が多いし。

 さて、小説の中身だが、以前最後まで読んでずいぶん経つが、そのあいだに頭のなかで熟成されたのか、読み返してみると、以前読んだときに感じた、あっけない感じや、物足りない感じなんかが、そうでもなかった。おもしろかった。
 『ふたりの距離の概算』でのホータローとえるの距離が、「遠まわりする雛」以降もじわじわ近づいてるようで、ほほえましい。
 えるが「でも、折木さんだって黙ってましたよね」と言った「少し不満げ」な様子は、責められていると感じたからなのか、あるいは。言ってほしかった、というニュアンスはないのか? 折木宅を数分で辞する間になにかあったかもと思うのは勘ぐり過ぎとは思いつつ。

 ホータローって、アニメ絵を思い浮かべて読むと、あらためて、寡黙でクールな印象を受けるが、ほんとにそうなのか? 人付き合いが下手でとっつきづらいだけなんじゃないのか? 絵柄を不細工系にしたら、あの性格じゃとてもそれを挽回できないぞ。そういえば米澤穂信の主人公は、陰気くさくて後ろ向きな感じなのが少なくないような。たぶん、多分に著者の反映あり。

 最後のページでホータローが「言おうと思っているのに、その実、ぜんぜん言える気がしない」と言ってるのはどういうことか。
 福部里志は、「好きな人を好きでいるために、その人から自由でいたい」(by 諸星あたる)から?
 ホータローはそうじゃないだろう。「告白」と、それに伴う「面倒」を引き受けるほど、「好き」というわけではないので、触れないようにしている?

 それにしても、しっかりした高校生たちだ。自分がいかにぼーっとした高校生だったか、いかにぼーっとした大人になっているか、痛感する。

 大日向さんに神のお恵みを。「また気が向いたら、いつでも来て」ほしい。

 余談。230ページ(単行本)「いくら千反田でも、それほど誰も彼をも知ってはいないだろうという希望」。
 「誰も彼もを」じゃないの?

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